第46回HIBTに参加して-その意義の再確認のために

 The HIBT is one of the oldest Billfish tournaments in existence today!!!
第46回HIBT公式サイトのヒストリーの項には、唯一このように書かれている。筆者はこれに同意しまたこれ以上HIBTの歴史について語る必要はないと考える。

 HIBTは、数少ないトロフィー・トーナメントである。与えられるものは、名誉でありその名誉は本当に永久的に歴史に名をとどめられているということにおいてその意味は大きい。キング・カメハメハ・ホテルのロビーに展示されているHIBTの全カテゴリーのトロフィーには、回数の数だけプレートが取り付けられているが、言うまでもなく、それはウイナーの名を刻印したプレートである。自らの名をその中に見いだしたものは、どれだけの誇らしさを感じることができるであろうか。

 では、名誉は誰に対して与えられるのか。勿論アングラーとそれを支えるチームであることは疑う余地がない。しかし、HIBTの場合は、もう一つ重要な要素がある。参加するチームの殆どの場合、チャーターボートで闘いに出る。チャーターボートは、地元コナを中心として職業的な『釣り船』であるが、このHIBTに関していえば、参加者から支払われるエントリーフィーから判断しても彼らが職業的な『釣り船』として参加しているとは決して言うことができない。彼らは、コナの海を知り尽くしHIBTを闘い抜き、その歴史とともに歩んできた歴戦の猛者なのだ。彼ら自身もこのHIBTという名誉を競うことに全力を注ぐ。その日のゲームが終った後のキャプテンたちの行動を見ると次の日の勝利に執念を燃やしていることに気付かされずにはいれない。いみじくも、今回のトーナメントで我々ともに一日を闘ったチャーターボートHUTRESSのキャプテンは「HIBTはいわばUS OPENだ」と極めて示唆に富んだ印象的な発言を行った。これこそ、何よりトロフィーとそれに付されている名誉求めるHIBTに対する意識の高さを物語るものであろう。

 キャプテンとアングラーの関係は、テニスのダブルスの関係のようなもので、対等なパートナーである。彼らは、オープニングセレモニーの後にもたれるMeet-the-Teams Party において、きわめて積極的にフィッシングの方針をアピールしてくれる。要するに、当面のゲームメーカーはコナの海とビルフィッシュを知り尽くしたキャプテンだと言える。そういう認識をもてば、コミュニケーションが成立し、世界の他の地域で実績をもつであろうそれぞれの方法を試すチャンスが訪れるわけだ。一方的な方法論の主張は、パートナーに対して行うべきではない。ゴルフにおけるプレーヤーとキャディの関係になぞらえても説明はつくだろう。キャディが単なるクラブの運搬員ではないのと同様にキャプテンやクルーは、アングラーをのせて運ぶものではない。

 断っておくが筆者は、「郷に入れば郷に従え」などという皮相的な精神論でのべているのではない。コミュニケーションがとれ、アングラーもキャプテンも一つのゲームに集中できる瞬間、このとき単なる釣りという趣味は、人と人が取り結ぶ規範を確立しその上に成り立つ文化へと昇華すると言える。もし、この文化を拒否するなら、当然オーナーボートで参加するしかない。だが、名誉のために申し添えたいのだが、オーナーボートでの参加者たちがこの文化を拒否していることはない。それほど深遠なものを含んでいる。

 HIBTに参加した経験者はかならずそのもてなしの品位の高さに驚くだろう。エントリー手続きから、数々のパーティーやミーティングは素朴ながら、実に品位が保たれ人間的な魅力に満ちている。ヒットしてタグ&リリースであろうとキャッチであろうと、その喜びを他のチームが共有してくれるのも半端ではない。まるで競技を行っているとは思えないよう感覚に陥ることも珍しくはない。参加チームはこの歓待にこたえて、今回に関して言えば「オールドサウス・ナイト」や「バミューダ・ナイト」などとチーム縁のネーミングでパーティーを開く。その様は、あたかも遠く離れくらす人々が故郷に久々に帰ってくるように感じる。それもそのはずである。HIBTこそ、現代のビルフィッシングの揺籃(ゆりかご)であり、今日のあらゆるビルフィッシュトーナメントの故郷であるからだ。

 そうなのだ。HIBTは参加する大会ではなく故郷に帰るということなのだ。ビル・フィッシングを極めようとするものは、一度は故郷に帰ってもらいたいと乞い願うものである。私たちトゥルーブルーFCは来年も必ずや帰郷する。「ジャパン・ナイト」をひらけるまでに成長を遂げて…。